二人で共感しあえる体験

五十歳ぐらいのさんが、「私の子供時代の九州の田舎では、村の中を物乞いをする人が回ってくると、その家の主婦は、倹約してやっと一年を喰いつないでいるような状態でも、いやな顔をせずに両手一杯ぐらいの米とか豆を包んで渡しているのを見ました。昔の人たちには、貧しい人たちに対するやさしさがあったんですね」という話をした。同世代の人はそれぞれに思い出すことがあるらしく、うなずいていた。小さい子供を持つ母親たちは、今更に現代に生きる人たちのカサカサした自己中心的な考え方の恐ろしさを感じたのであろう、徴妙な表情で黙って話を聞いていた。誰の心にも、その話は深くしみこんで、藤原ていさんの本の内容と共に、心に残って家に帰ったようだつた。夜になって夫が帰宅したとき、私は食卓で一番にその話をした。「そうだね。僕も小さいときのことを思い出すよ。僕の家は下町の印刷屋だったから、客も多かったので、残飯も多かったんだ。母がそれを失敗した印刷の紙の裂の白い方を内側にして包んだり、火鉢に残ったたばこの吸いがらも別に包んで、夜になると裂のごみ箱のふたの上に、そっとおいていたよ。少しして見に行くと、いつの間にか失くなっていたのを覚えているなあ」夫はそう言って、母親のことを思い出しながら、そのようなやさしい気持ちの交流のあった昔をしばし懐かしんでいた。これは私の場合だけでなく、恐らく、その日、読書会に出た人は、少なからぬショックや感動をもってその話を思い出し、家族の誰かに話したくなったろう。同世代の夫が最も分かってくれて、もしかしたら、話がはずんだかもしれない。夫婦なのだから、いつも話をしていなくてはいけないとは思わないが、二人で共感しあえる体験やら、どこかから得た情報があれば、自然に会話がはずむのではないだろうか。会話がはずむということは精神が生き生きとしている証拠である。感動する心を大切にしていきたいものである。夫と愉しむ旅のコツ夫と七泊のイギリスの旅女どうし本音で話し合うと、子育てが一段落した後の夫婦だけの旅について、意見がいろいろ別れる。「定年になったら、二人で海外旅行をしよう」と、夫に言われて、それだけで感激する妻もあれば、「旅行中まで夫の身の回りの世話をしたくない。話題も合わないし、旅をするなら女友達としたい」という人も結構いる。旅をするゆとりもない夫婦から見れば、「行けるだけでありがたいと思わなくては」と言われるであろう。